ストリートダンス初心者のための「ストリートダンスの歴史」〜もっとパワフルに踊ろう〜

ストリートダンスの歴史です



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 ストリートダンスと一言で言っても、ブレイクやヒップホップ等、数多くのジャンルが存在する。 これらのジャンルは大きく、オールド・スクール、ミドル・スクール、ニュー・スクールの3世代にわかれている。

@ オールドスクール; ブレイク ロック ポップ ソウル パンキング etc…
A ミドルスクール; International Step Dance ビバップ New Jack Swing ホーシング etc…
B ニュースクール; オールドスクールを新たにしたもの全般をいう事もある。 HipHop House etc…

Break'in(ブレイク)

ブレイク!!

 日本では、ブレイクダンスをしているダンサーが1番多い。ブレイクダンスから始めて他ジャンルで活躍されている方も数多くいるでしょう。ここでは、さらに歴史を知ってもっとパワフルなブレイクをしていただきたい!!

 B-BOYINGとは、1980年代に流行した頭や背中でくるくる回るダンスで、通称ブレイクダンスやブレイキングという名で、世間一般にはよく知られているスタイルである。ブレイキングは、正式にはB-BOYING(ビーボーイング)と呼ばれるダンススタイルであるというのは、ロックステディーのクレイジーレッグスがいつも言っている。というのもブレイクダンスというのはメディアによって勝手に名ずけられたものであり、もともとブロンクスではB-BOYINGと呼ばれていたからだ。B-BOYINGは、B-BOYが踊るスタイルというところから派生されたものだが、そもそもB-BOYの意味は意外と知られていないものである。B-BOY"B"Break"B"で、ダンサーたちがその昔、曲の1番と2番の間にある歌詞なしのビートだけの盛り上がり部分であるBreak Beatsに合わせて踊ることから彼らはB-BOYと呼ばれた。B-BOYINGは、どうしても動きの派手な、パワームーブ(ウィンドミルetc…)にイメージがいってしまうが、実際にはトップロックに始まり、フットワークなどのエントリー、そしてウインドミルやヘッドスピンといったパワームーブ、そして最後を決めるフリーズの起承転結を含んだ奥の深いスタイルである。またB-BOYINGには、常に他のB-BOYと技を競いあうバトルがつきもので、これはアフリカバンバータが、70年代のストリートギャング抗争が激しい時代に、「争うならダンスで争え」と提案したことにも関わりがあるだろう。実際、トップロックのスタイルのひとつ、ブルックリンロック(アップロック)は相手をリズムにあわせて殴ったりするような動きを真似たもので、相手を威嚇するために使われたりするほどである。

 さてこのB-BOYINGが生まれたニューヨーク・サウスブロンクス地区で、それらしき踊りが現れ始めたのが1970年代前半。ジェームスブラウンのヒット曲"Good Foot"にちなんでつけられたGood Footと呼ばれる踊りが、その走りと呼ばれる。この頃は、足だけのシンプルなフリースタイルであった。その後この踊りが進化し、"boie-oie-oings"と呼ばれるようになった。また、これに手を使って地面で体を支えながら踊るものが現れはじめフットワークのスタイルが生まれた。ちょうど同じころブルックリンではブルックリンロックと呼ばれる立ったり座ったりするような踊りが登場し、後にアップロックと呼ばれるようになった。こうしてB-BOYの第一世代(黒人のクルー、Nigger TwinsClark Kent クルー etc…)が名をはせていた。1977年には、今のロックスディーの母体となるZulu Kingsと呼ばれたクルーもクラブをにぎわすようになった。この世代のB-BOYINGにはまだウインドミルやヘッドスピンといった体ごとスピンする技はなく、フットワーク中心であった。

 しかし、B-BOYING77年頃から黒人の間ではその人気を失いつつあった。その死にかけたB-BOYINGに新しい命を吹きこんだのは同じブロンクスに住んでいた若いプエルトリコ系のダンサーであった。彼らはB-BOYINGの第二世代と呼ばれ、フットワーク中心のブレイキングにウインドミル、ヘッドスピン、ハンドスピンといったアクロバティックな要素を取り入れた。今ではB−BOYINGの象徴ともいえるウィンドミルは、カンフーの起き上がる動きを連続することで生まれた。それ以外にも、ヘッドスピンはアフリカの民族ダンスに、エルボースピンはロシアンダンスにルーツがあるなどと言う説もある。プエルトリコ系B-BOYの活躍で勢いをとりもどしたB-BOYムーブメントはやがてマンハッタンのRoxyといったクラブで紹介され、マンハッタンでもB-BOYINGが街角で見られるようになった。B-BOYINGが世界的に知られるようになったのは1982年公開の映画「フラッシュダンス」でとりあげれてからであった。そのシーンはごく数十秒のものであったが、その衝撃はかなりのものであった。「フラッシュダンス」以後、「ブレイクダンス1、2」、「ビートストリート」、「クラッシュグルーブ」などブレイクダンス映画が次々に作られ、TVのコマーシャルに多用されるなど、一大ブームを築いた。


 しかしながら、この1980年代前期のアメリカにおけるB-BOYINGの過度なメディア登場は85年以後B-BOYINGがメディアへの露出が減少した時に、大衆に「B-BOYINGは単なる流行だったのだ」というイメージを持たせる結果を生んだ。クラブでB-BOYINGをやろうものなら、時代遅れの目で見られ、多くのB-BOYが姿を消した。(今で言う…厚底ブーツ、山姥ギャルと言ったところか)レコード会社と契約し、ヨーロッパツアーを行っていたロックステディクルーも、事務所側との契約のもつれで、グループとしての活動停止を余儀なくされた。 B-BOYINGの氷河時代である。こんな状況でも、真のB-BOYたちは、世界中で根強くブレイクを続け、新たなる時代の到来を待った。特にロサンゼルスやサンフランシスコなど西海岸の都市では、パワームーブ(フットワークなどでなく大技)の進化や新たなコンビネーションの発明が、一部のB-BOYの間で確実になされていた。これを受けて90年代始めにはロスやサンフランシスコで後に「The resurgence of B-boying」と呼ばれるB-BOYINGの復興ムーブメントが起こりはじめた。このムーブメントは、ゆっくりではあったが着実に全世界にひろがった。1992年にはロックステディクルーがついに正式に活動を再開。B-BOY SUMMITRSC ANNIVERSARYといったイベントには世界中からB-BOYが集まるようになった。

 現在B-BOYINGには大きくわけて2つのスタイルにわけられる。一つは、フットワークを主体とする通称リズムブレイキングやスタイルと呼ばれるもの、そしてもう一つは大技を主体とするパワーブレイキング。リズムブレイキングはロックステディクルーが提唱するスタイルで、「B-BOYINGがダンスである以上、音楽のリズムを大切にしてダンサーの個性をだしていくべきだ」というコンセプトのもとになりたっていると言える。パワーブレイキングは、アクロバティックな技を磨くことに重点を置き、確かにダンサーの個性や、音楽に対する感性は、出しにくいものがあるが、そのインパクトは強い。現在アメリカのB-BOYの間では、この2つのスタイルをめぐる論争がB-BOY SUMMITなどでなされている。

Lock'in(ロック)

ロック!!

 ロッキングは、ロサンゼルスにそのルーツを持つ。その歴史は古く、ブレイキングが生まれる以前の1960年代までさかのぼる。ロッキングは、ロッカーズと呼ばれるグループによって創り出された。これらは後にニューヨークのB-BOY達にも取り入れられ、ヒップホップの一部となった。

 ロッキングの始まりは、ロボットダンスとされている。1960年代の『ロスト イン スペース』といった番組に刺激を受けたロスの黒人の子供達がロボットダンスを創り上げた。 未来のアニメーションのようなものは、いつもゲットーに住む貧しい黒人の子供達を魅了してきた。というのは、それが、貧しく無為秩序な現実世界からの逃避手段であったからだ。そんな状況の中で、未来のロボットの動きを真似たロボットダンスを、より機械的なリズムを持つジェームス ブラウンの「グッド フット」のような曲に合わせて踊ることは、自然の流れだったのかもしれない。

 1969年、ドンキャンベルという1人の黒人青年が、その名にちなんでつけられたキャンベルロックというダンスを生み出したことで有名になっていった。彼のダンスは、フレッドステアのような派手なタップダンスの手や足の動きと、ロボットダンス、そして、ぴたっと止まったり、動いたりするようなコミカルな動きに、コミカルな表情、そして、ピエロのような衣装など、全てをミックスした全く新しいもので、後にロッキングと呼ばれるようになった。

 70年代初期に、ドンキャンベルはザ・ロッカーズを結成。メンバーの中には、映画「ブレイクダンス」で有名になったシャバドゥーや、人気コメディードラマ「What's happening」のリランの役で親しまれた、ペンギンなどがいた。70年代のロッカーズは、底が厚いプラットフォームシューズや、ストライプのソックス、膝のちょっとしたまでしかない長さのパンツ、派手な色のシャツに蝶ネクタイ、変わった形をした異様に大きな帽子に白い手袋をはめるのが、彼らのスタイルだった。

 当時、テレビ振付師として知られ、「Shipping」や「Hullaballo」といった番組で有名だったトニーバジルは、このドンキャンベルと、そのグループのロッカーズを紹介し、彼らを世界的に有名な存在にした。トニーバジル自身のダンサーとしての才能はすばらしく、すぐにロッキングを身に付け、ロッカーズのメンバー入りをし、その後、ロッカーズを「Saturday Naight Live」といったテレビ番組や、ビールのコマーシャルなどに出演させた。1972年頃には、「ソウルトレイン」という番組が、ロッカーズを始めとするストリートダンサーを起用して、その人気を急激に高めた。当時のロスには、「クレンショウ」という名のクラブがあり、ソウルトレインダンサーのたまり場として盛り上がっていたようだ。

Pop'in(ポップ)

ポップ!!

 ポッピングはロッキング同様、ロスアンゼルスにそのルーツを持つ。その歴史は古く、ブレイキングが生まれる以前の1960年代までさかのぼる。ポッピングは、エレクトリックブガルーと呼ばれる、ロスのストリートダンスグループによって創り出された。後にニューヨークのB-BOY達にも取り入れられ、ヒップホップの一部となった。ロックステディークルーのミスター・ウィグルは、ロスのポッピングをニューヨークのダンサーが、よりファンキーな形で取り入れたので、ニューヨークではエレクトリックブギと呼ばれたと主張する。

 ポッピングの始まりは、ロボットダンスとされている。1960年代の『ロスト イン スペース』といった番組に刺激を受けたロスの黒人の子供達がロボットダンスを創り上げた。 未来のアニメーションのようなものは、いつもゲットーに住む貧しい黒人の子供達を魅了してきた。というのは、それが、貧しく無為秩序な現実世界からの逃避手段であったからだ。そんな状況の中で、未来のロボットの動きを真似たロボットダンスを、より機械的なリズムを持つジェームス ブラウンの「グッド フット」のような曲に合わせて踊ることは、自然の流れだったのかもしれない。

 ちょうど、ニューヨークでブレイキングが生まれ流行していた197273年頃、カリフォルニアのフレズノという小さな町で、ある黒人家族の兄弟達が、新しい踊りを創り上げていた。そのスタイルこそ、ポッピングであった。映画「ブレイクダンス」にも出演し、初期のロッカーズのメンバーでもあったストリートダンサーのポッピンピートは、自分の兄弟と一緒に、ポッピングを創り上げていった。ポッピングは筋肉をコントロールすることによって、体をはじく(ポップ)ように見せるもので、それに、身体に波が走っているように見せるウェーブなどをミックスして踊るスタイルである。ポッピングは、その後サンフランシスコで注目され、やがてテレビ産業のメッカ、ロスアンゼルスに到来。すぐに「ソウルトレイン」で紹介され、ロッキングと共に人気を博した。その後、ブレイキングが大流行していたニューヨークでもポッピングは人気を呼び、ヒップホップのダンスとして取り入れられるようになった。

Hiphop(ヒップホップ)

ヒップホップ!!

 ヒップホップはニュースクールに分類されるが、ヒップホップの元祖はオールドスクールにあり、ヒップホップとは、あくまでも黒人たちが生み出した文化の総称であることを分かっていただきたい。

 一般的にはヒップホップと呼ばれているが、これはニュースクールヒップホップの事を指す。こう呼ぶ事で起こりうる問題は、ブレイキングやポッピング、ロッキングといったオールドスクールがあたかもヒップホップの踊りでないように聞こえる事である。オールドスクールもヒップホップカルチャーであり、まぎれもなくヒップホップダンスである。この事から、1985年前後に生まれたヒップホップダンスのスタイルをニュースクールヒップホップと分類する事ができる。

 ニュースクールは、ブレイキング、ポッピング、ロッキングなどと異なるヒップホップのダンススタイルであり、昔のヒップホップミュージックは速めのビートを持ったものであったが、ヒップホップミュージックは時代とともに常に変化していき、ブレイキングが新しいヒップホップミュージックに合わなくなった時、その変化に合わせるべく必然的に生まれたのがニュースクールヒップホップである。1986年頃がその始まりとされ、この時代のニュースクールは比較的シンプルなものであったが、その後ポッピングやロッキングなどの要素が取り入れられ、またレゲエなど他のダンススタイルから影響を受けるなどして、洗練されたスタイルに進化した。ニュースクール初期は、ラッパーも好んでダンサーを使い、ビデオやライブではダンスを見る機会に恵まれていたが、近年はヒップホップミュージックのハードコア化などの理由からダンサーは使われない傾向になっている。この事からニュースクールのアンダーグランド化が進み、結果的にニューヨークやロサンゼルスといったダンス文化の豊かな都市とそれ以外のアメリカの都市のニュースクールダンスのレベルの差は激しく、いまだにランニングマンなどの初期の時代で止まっている都市が多い。アメリカでは日本と違って、オールドスクールがヒップホップダンスのマジョリティーであるのも、そのためであろう。

House(ハウス)

ハウス!!

 ハウスダンスはニュースクール系に分類されるダンスで、ハウスミュージックに合わせて踊るダンスであり、ハウスミュージックそのものが生まれたのはシカゴやデトロイトである。

 ニューヨークでもトップハウサーとして知られるイージョーウイルソンによると、ハウスダンスがニューヨークにて今のような形で踊られ始めたのは1988年前後だそうだ。ヒップホップという音楽が黒人に偏った音楽であるのに対しハウスはかつての70年代のディスコミィージックのように、色々な人種や色々なタイプの人々に愛される音楽だった。この様な背景から、ハウスクラブには文化的多様性が存在した。ハウスダンスはそのミックスされた多様な文化の雰囲気のなかから生まれた。アフリカンダンスを踊るアフリカ人、サルサやミレンゲを踊るヒスパニック系プエルトリコ人、サンバやカポエラをバックグランドに持つブラジル人、ジャズダンサー、モダンダンサー、タップダンサー、ヒップホップダンサー、B-BOYなど、そういった様々なダンススタイルがミックスされてハウスという踊りが形成されていった。最近では、カポエラの影響が多大に見られる。

 ヒップホップは自分で体をコントロールするのに対し、ハウスは音楽そのものが体をコントロールするスタイルである。これは、ハウスがよりフリースタイル的踊りであり、よりスピリチュアルな踊りだからだ。ビートが速いことからその踊りはフットワークが中心となる。ハウスダンスの初期において、ブライアンはフットワーク中心、イージョーはアクロバット中心というようにダンサーはそのどちらかに力をいれていたが、最近の新しい世代のハウサーは、その両方をこなすものが多い。現在のニューヨークでは、ヒップホップクラブは常に喧嘩などのトラブルが耐えないことから、純粋に踊りを楽しめるハウスクラブに人気が集まっている。毎週水曜日のサウンドファクトリーバー、土曜日のバイナルなどが人気のハウスクラブだそうだ。

Jazz(ジャズ)

ジャズ!!

 ジャズは、バレエの要素をふんだんに使ったダンスで、イメージ的にはハイテンポの音楽に合わせて踊る、より日本人好みのダンスであると言える。最近では、柔軟性がない人でも踊れるファンキージャズが主流となっている。

 ジャズダンスは、イギリス人が黒人奴隷貿易をし、アイルランドを植民地にしていた頃、アフリカから強制的に連れてこられた黒人奴隷とアイリッシュ移民により多くの影響を受け、現在の形に発展した。つまり、ジャズダンスには民族の強い思いが根付いている。
かがんだ体勢は、狙った獲物を捕獲する狩猟民族の日常生活から由来するほどである。「ジャズダンス」という言葉が使われはじめたのは1927年頃とされており、30年代後半にブロードウェイ・ミュージカルに登場。以降、ショービジネスの世界に軸足を置き、発展してきた。各時代のエンタテインメント、カルチャーが融合した現在の「ジャズダンス」に定義はなく、反対に型にはめないのがジャズダンスの良さであり、時代によって様々なスタイルを生み出す「進化するダンス」と言える。

 ジャズという1つのジャンルを創造したのは、ジャズダンスキングと呼ばれたルイジである。ルイジは、日本人ダンサーであるイトウ・ミチオにバレエを師事していた。このイトウ・ミチオがいたからこそ生まれたルイジの生き方、ダンスに対する姿勢はジャズに大きな影響を与えた。というのも、ルイジは交通事故に巻き込まれ、片目が失明し半身不随の状態から、イトウ・ミチオに教えてもらったストレッチやリハビリを何年も行い、再びダンスの世界に戻ってきたからだ。リハビリの中で身体の強化・コントロールを身に付け、「心構えは、時として才能より重要な意味を持つ」という名言もある。この時行っていたリハビリ・ストレッチは、ルイジテクニックと呼ばれ、世界中で愛されている。

 ルイジの不幸な出来事が、新たなルイジの才能を引き出した。さらに他の人々には、もっと大きな影響を与えた。皮肉な話だが、事故という出来事がルイジの人生に大きな影響を与えただけでなく、
ジャズダンスというものにも大きな影響を与えた。

 ルイジは、インタビューでこの様なコメントを残している。「ダンスをする上で必要な事は、自分自身を踊る事。ダンスとは、自分の手を胸に当てて魂の鼓動を聞くこと。そして、ダンスとは体のそれぞれの部分が様々な楽器となり、そのそれぞれの楽器がすばらしいハーモニーを奏でること。私は体に正直に動かしているだけ。ダンスをする事は、力をもって体に命令を与えて動かすことではない。正しいポジションに体を動かしてあげる事が大切。まねをする事じゃない。ダンスする事は自分の魂に正直になる事なんだ。」

Capoeira(カポゥエラ)

カポゥエラ!!

 カポエラとは、アフリカ系ブラジル人の格闘技であるが、その特殊な動きや音楽に合わせてセッションが行われたりすることからダンスとしても見られる特殊な格闘技である。そのルーツはアフリカにその昔存在した格闘技と言われている。

 カポエラは、ブラジルの奴隷制の時代にアフリカから連れてこられた奴隷が、奴隷制や奴隷主と戦うために編み出されたもの。その修行は、奴隷主の目を欺くために音楽に合わせてさも踊りを楽しんでいるように行われた。また手が鎖でつながれていたことが多かったことから足技を中心とするのがその特徴。しかし、やがて奴隷主はこのカポエラの存在に気付き、その一切の練習を禁止、それを破ったものには死刑という厳しい政策をとった。その後、カポエラが正式に合法的に認められた1930年代までの400年の間、カポエラは密かに世代から世代へ受け継がれていった。

 カポエラには、空手と同じようにいろいろな流派が存在し、格闘技面に重点を置く派もあれば、その芸術性やダンス性に重点を置く流派もある。カポエラはその後アメリカを始め世界各国に紹介され、アメリカにおいては現在もブレイキングやハウスなどに強い影響を与えているのは有名である。カポエラにはホダと呼ばれる11で行われるセッションみたいなものがあり、空手で言えば組み手にあたるかもしれないが、実際には戦っているわけでなく、お互いの動きで刺激しあって楽しんでいるというべきであろう。カポエラには、音楽がかかせない。その音楽を奏でる楽器は非常に特殊なもので、バリンボウという弓型の楽器がその中心である。最近では「Only the Strong」というカポエラを題材にした映画が創られたり、ゲームに登場するなどと比較的知られるようになっているが、今だ神秘の格闘技である。

BeBop(ビバップ)

ビバップ!!

 通称ビバップは、9192年頃日本のストリートダンサーの間で流行ったタップダンスのストリートっぽくアレンジしたダンスとでも言える。もともとロンドンのアシッドジャズのクラブの様なところで、黒人が踊っていたスタイルらしい。そのスタイルは、ジャズやバレエ、タップ、リンディホップといったいろいろな要素が含まれたハイレベルのものである。アシッドジャズ以外にも、パフォーマンスにはジャズオーケストラミュージックが使われることもあり、そのリズムは複雑でそして高速であることから、極めて難しい踊りと言える。日本ではロンドンから3人組のブラザーズ・イン・ジャズが91年に来日し、ビバップが始めて紹介された。その後、サム、カズ、ホリエハルキといったダンサーが中心になってビバップが日本で盛り上がりを見せかけた。しかし、その音楽性や踊り自体のとっつきにくさからあまり定着しなかった。